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サグラダ・ファミリア


サグラダ・ファミリア

「サグラダ・ファミリア」(地図)は、1882年に工事が始められ、今なお工事が進められている、言わずと知れたガウディの代表作です。

当初、建築主は建築家フランシスコ・デ・パウラ・デル・ビジャールに建築を依頼するも、意見の対立で着工の翌年1883年に辞任、当時31歳だったガウディがあとを引き継ぐことになりました。

1914年以降、ガウディは「サグラダ・ファミリア」の建設に専念、1926年に亡くなられるまで、人生の全てをこの教会の建設に捧げたといっても過言ではありません。




「サグラダ・ファミリア」の北東側のファサード「生誕のファサード」です。

1892年に設計が始められ、1894年に基礎工事に着手、正確な完成時期は不明ですが、教会の3つのファサード(北東、南東、南西)のうち、ガウディの生前に完成した唯一のファサードです。

「生誕のファサード」は3つの門で構成され、イエス・キリストの幼少年期の数々の出来事が彫刻によって表現されています。

2005年に教会は建設中ですが、この「生誕のファサード」部分及び「地下聖堂」が、ユネスコの世界遺産に登録されました。

サグラダ・ファミリア




サグラダ・ファミリア

「生誕のファサード」の中央の門のエントランス上部にある「天使たちの合唱隊」と呼ばれる彫刻作品です。

日本人彫刻家の外尾悦郎氏によって修復された彫刻群です。

左右の6天使は、3天使がクラシック楽器を、他の3天使は民族楽器を手にしています。

写真中央部最下部には「生誕」の彫刻群が配置されていて、幼いイエスをヨセフとマリアが見守っています。




「サグラダ・ファミリア」の南西側のファサードは、「受難のファサード」と呼ばれています。

ガウディは1911年にマルタ熱に冒され、療養のためプッチェルダーに移りましたが、そこで「受難のファサード」を思いつき設計を行ったそうです。

工事が始められたのは1954年。

「生誕のファサード」とは対照的に装飾を排し、現代彫刻で、下段は十字架磔刑前夜を、中段はゴルゴダの丘までの道のり、上段はイエスの死と埋葬というように、S字を逆に描く順序で、最後の晩餐からのイエスの苦しみが彫刻で表現されています。

サグラダ・ファミリア




サグラダ・ファミリア

「サグラダ・ファミリア」の鐘楼を登ってバルセロナの風景や工事中の様子を間近で垣間見ることができます。

この時、私が訪れた際は、朝が早かったからか、入場者の割には、鐘楼に登っている人は少ないな〜という印象でした。

時間と体力が許せば、是非鐘楼に登って下さい。




鐘楼内部の階段を利用すれば無料で最上部まで上がれます。

が、300段以上の狭い螺旋階段の登り下りは相当キツイと思いますので、多少体力に自信があっても、有料のエレベーターで登って、階段で降りるようにしたほうが無難でしょう。

サグラダ・ファミリア




サグラダ・ファミリア

「サグラダ・ファミリア」の内部の様子です。

内部は外部以上に工事中の様相で、教会建築にある荘厳な雰囲気を感じるまでには、まだまだ時間が必要かなという状況です。

しかし、それでも、ガウディが目指した空間を垣間見ることは十分に可能です。

そして、訪れた誰もが「完成した姿を見たい」と感じるんじゃないでしょうか!?




「サグラダ・ファミリア」は、(一応)ゴシック様式を基礎にしているのですが、今まで見てきたどのゴシック建築ともひとかけらも似ていない天井の様子です。

ドームを支える柱は、樹木のように天井近くで枝分かれします。

時間を味方につけると、このような凝りに凝った仕事ができるんだなと...

いやもう、本当に、圧巻の一言!

サグラダ・ファミリア




サグラダ・ファミリア

「サグラダ・ファミリア」から北に伸びる通りが「ガウディ通り」と呼ばれています。

もともとガウディは、サグラダ・ファミリアにつながる4本の通りを放射状に計画していたそうですが、その内の一本だけが実現し「ガウディ通り」と呼ばれるようになりました。

この通りは、世界遺産に登録されている建築家リュイス・ドメネク・イ・モンタネール設計の「サン・パウ病院」へと続きます。

一般の観光客の姿は殆ど見かけませんでしたが、建築の道を進む人であれば、サグラダ・ファミリアの見学後、この通りを北に進まれて「サン・パウ病院」に足を運べば良いと思います。


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