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仁和寺


仁和寺

仁和寺は、光孝(こうこう)天皇が仁和2年(886年)に建設を始め、宇多(うだ)天皇によって、仁和4年(888年)に完成しました。

宇多天皇は退位後出家し、仁和寺の西南に「御室(おむろ)」と呼ばれる僧坊を建て、30年以上住まいにしていました。

応仁の乱で伽藍は全焼。寛永年間(1624 -1644年)に徳川幕府により伽藍が再整備され、京都御所の紫宸殿、清涼殿、常御殿などが仁和寺に移築されました。




仁和寺の三門「二王門」です。

「知恩院 三門」、「南禅寺 三門」と共に京都の三大三門の一つに数えられる三門(諸説あり)ですが、先の二つの三門が禅宗様であるのに対して、こちらは和様でまとめられています。

1630年代後半から1644年頃の建立です。

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「二王門」に全景から寄ったカットです。

疎組と呼ばれる和様独特の斗きょうの配列が良く判ります。

特にシンプルにまとめられているのもありますが、「知恩院 三門」の禅宗様の斗きょうと比較すると印象の違いがより明確になります。




「二王門」は和様でまとめられていますが、横架材に貫が使われています。

禅宗様が日本に伝わってからは、和様でも長押の代わりに貫が使われることが珍しくありません。

貫を使うことで耐震性が大幅にアップします。

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「二王門」を通って正面に見える「中門」。

丁度、「二王門」と「金堂」の中間に位置して、伽藍主要部への入口にあたります。

「二王門」通り過ぎて感じる心地好い空気感、また、仁和寺を後にしようと「中門」を通り抜けて飛び込んでくる光景も、この「中門」が演出していると言っても過言ではないでしょう。




いわゆる二重虹梁蟇股というタイプの「中門」の妻飾です。

一般的に、二重虹梁とは上側の虹梁を指し、下側の虹梁は大虹梁と言って、上側の虹梁の倍程度の長さがありますが、仁和寺の「中門」では二分されています。

比較的小規模の切妻の屋根の寺院建築になると、こういう感じの妻飾りが多いようです。

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「五重塔」は、「八坂の塔」、「東寺 五重塔」と共に、京都を代表する五重塔の一つです。

「二王門」と同じ和様でまとめられ、建立も同時期の1644年です。

派手な装飾も無く、シンプルに手堅くまとめられた印象です。

一層目から五層目まで、塔の横幅の変化が小さいため、高さの割に安定感・安心感を感じさせるデザインです。




「五重塔」の一層目、二層目に寄ったカットです。

柱の上部のみに組物が置かれ、柱と柱の間には間斗束が設けられています。

垂木は平行垂木で、窓は連子窓、蛇腹支輪もはっきり確認できます。

さらに長押で固められた軸組など、一見しただけで和様らしさが伝わってきます。

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仁和寺の「金堂」は、京都御所の紫宸殿を移築し、仏堂として利用するため改装したものです。

そのため、寺院建築の本堂としては大変珍しいデザインでまとめられています。

現存する最古の紫宸殿で、檜皮葺きの屋根が瓦葺に変わっていたりするものの、当時の宮殿建築の姿を現在に伝える貴重な建築物で国宝に指定されています。




「金堂」の大棟に寄ったカットです。

京都の古建築でよく見られる輪違瓦と菊丸瓦を使った瓦積みです。

大棟全体が派手ではありませんが大変美しく仕上げられています。

輪違瓦も菊丸瓦も桃山時代から使われ始めたそうです。

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向拝の上にある留蓋瓦のデザインも個性的です。

亀に乗るのは黄石公(こうせきこう)という仙人です。

亀は3000〜4000年に一度、水面に顔出すといわれ、黄石公はその亀を3〜4回見たそうで、永遠の象徴として安置されています。




「金堂」の西側に建つ「鐘楼(しょうろう)」です。

「鐘楼」は鐘を吊っている建物で、鐘を鳴らして時を知らせる施設です。

仁和寺の「鐘楼」は、袴を穿いたような袴腰式(はかまこししき)と呼ばれる黒色の板張りの下層部分に、木部を朱色に塗った和様の上層を載せています。

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「二王門」をくぐり30m程進んで左手側に見える「勅使門(ちょくしもん)」。

設計は亀岡末吉氏、竣工は1913年です。

伝統的な和と、現代的ともいえる亀岡氏の作風がミックスした、大変豪華で個性的な意匠に彩られた門です。

意外とこの「勅使門」に目もくれず「中門」の方へと向かっていく方が多いので、ちょっと勿体ないなと...




「勅使門」の門扉です。

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「勅使門」の大瓶束と笈形(おいがた)、蟇股です。




仁和寺 御殿の「白書院」は、1887年に仁和寺御殿が焼失したため、仮宸殿として、1890年に建てられたものです。

宸殿等が再建された後、白木の柱を用いたことから「白書院」と呼ばれるようになりました。

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後で紹介する「宸殿」の南側にある庭ということで「南庭」と名付けられた庭園です。

感覚的には「白書院」の前面(東側)にある庭園で、「白書院」からゆっくり鑑賞することをお勧めします。

シンプルな庭園ですが、天気が良い日は、白砂の白、木々の緑、空の青がそれぞれに美しく、数ある京都の庭園の中でも大変印象に残る庭園の一つです。




仁和寺 御殿の「宸殿」は、御殿の中心建物で式や式典に使用されます。

京都御所から移築された常御殿がその役割を果たしていましたが、1887年に焼失しました。

現在の「宸殿」は、亀岡末吉氏の設計で竣工は1914年です。

「宸殿」の南側は半蔀戸を用いた寝殿造風ですが、内部、そして北側から見ると書院造という構成です。

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「宸殿」の内部は三室からなり、写真は上段の間です。

亀岡末吉氏による意匠、床・床框に螺鈿(らでん)細工が施された本格的書院が見どころです。

襖絵や壁などの絵は全て原在泉氏の作品です。

明治時代の宮殿建築として、技術、芸術 両面で最高のものといわれています。




「宸殿」の北側にあり「北庭」と呼ばれる池泉式の庭園です。

斜面を利用した滝組に池を配置し、築山に飛濤亭(ひとてい)、その奥には中門や五重塔を望む事ができます。

庭の作庭時期は不明(白井童松という資料も)ですが、1690年に加来道意氏ら、明治・大正期には七代目小川治兵衛(おがわじへえ)氏によって整備され現在に至ります。

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仁和寺 御殿の「黒書院」は、京都・花園にあった旧安井門跡の寝殿を移築し改造したもので設計は安田時秀氏、竣工は1909年です。

柱や天井の格子、障子の縁などを黒漆で塗ったことから「黒書院」と呼ばれています。

内部は6室からなり、1937年に堂本印象が室内全体の襖絵を描きました。

それぞれの部屋は、襖絵の画題に合わせて、柳の間、松の間、秋草の間、竹の間、葵の間と呼ばれています。




仁和寺の院家であった喜多(北)院の本尊 薬師如来坐像を安置する為に建立された仁和寺 御殿の「霊明殿」 。

こちらの設計も亀岡末吉氏で、竣工は1911年。

亀岡氏の手による小組格天井、蟇股の組物など繊細で現代的なデザインが見どころです。

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